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2010.7.12作成   「海外で地域に根ざした生活や、なにか役に立てる活動を通してビジョンの肥やしとしたい」 そう考えた私は今年こそ仕事を辞めて、NGOのボランティアをすることを決意。そして地図を広げた。 みんな人生は1回きり!! それならやるべき道を進む。 自分の活動は華やかなものではないかもしれない。 しかし、自分の大事にしてるものがある。自分の持ってる世界がある。その世界を逞しく育ってみせる。  この1年は今まで味わったことのない様々なカラーが混ざってくる。その過程を、ブログを通して一度綴ってみたかった。 みんなには其々の磨けば光る何かがある。それに気づかない,それを知らない人に、このブログが何かのお役に立てれば、なお一層嬉しい。
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 写真素材のピクスタ
バングラデシュの活動終了。これは自分にとって、海外ボランティアの1年の終わりを意味する。
 
ここでの活動は、生活や仕事面でトラブルが多かっただけに、一言で表すと、修行だった。
親友やチャーショップの叔父さん。家のちびっ子,その他多くのいい人との別れは寂しいけど、やっと帰れる。という気持ちが強い。正直なところ。
 
 
 
 
 
自分がこの1年参加してきたボランティアは1~3ヶ月の期間。現地で何か技術を伝えて定着させるには短すぎる。そもそも、現地が必要とするものを把握するだけでも、自分はどこまで把握できているのか。
 
国際協力の入門。的な経験が今回できたんだと実感している。
 
 
 
活動先のNGO団体へ別れを告げ、長距離バスで首都ダッカへ。
2ヶ月前ここに来る時、長距離バスはアホほどスピードだして、「死」を覚悟した。それくらい自殺行為な運転手。対向車が来てるのに反対車線にはみ出るというより、反対車線で走る。クラクションを鳴らしてハンドル切るのも映画のシーン見たく荒い;;

スピードがえぐい。手に汗出っ放し・・・・
 
帰りは何でかえるの?バス?電車?バングラデシュはバスは毎年多数の死者がでてるから、夜行電車がぜったいイイ!!って現地人に押されたけど、時間的なことからバスを選んだ。
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スリルを楽しみたい人は一度お試しください。でも、やめたほうがいい。笑
 
 
 
親玉NGOが用意してくれた少しリッチな部屋に到着。お詫びもかねて、と、いい部屋とって下さった。。。気を使っていただいて申し訳ない。。。




日本のリポビタンD的な存在のバングラ栄養ドリンク 「タイガー」味はリポDとほぼ一緒だった↓↓

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一泊後↓
 
さあ、いよいよ今から飛行機で日本へ!!!



 
アミ アコン ジャパン ジャボ!!(ベンガル語で:私は日本へ行きます)
との気持ちでとったホテル出発時の写真↓↓
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しかーし、このあとダッカの空港でビザのオーバーステイ発覚のため、ダッカ市内に追い返されるんですがね;;汗笑
インドでのビザミスが頭を過ぎった。
 
 
インドと同じミスじゃないけど、またビザのミス。。。。アホやな自分。






 
この3日後、幸運にも親玉NGOの助けをお借りして日本への帰国がかなったのでした。
 こんな失敗で見ることができた、首都ダッカの様子↓↓6b79d9d6.jpeg0da3ab23.jpeg
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問題は、いたるところにある。自分が伝えられる事、伝えたいこと。


できれば直接,皆にみてもらいたい。
海外へ行ってみたい人、迷ってる人は絶対行くべきだ。と感じるのは、私一人ではあるまい。



 



 
このページで、ひとまず、海外でのボランティア経験については終わりにします。
でも、海外ボランティア,また書きたいことが出てくれば足していきまっす。
 




 
いつも誰のコメントも無い中、辛抱強くコメントをくれた永井マン,同じボライヤーとして思いを共有できたボライヤー3期生,NICEのスタッフの方々。地元の友人,先輩・後輩や生徒,家族やこのブログを見て下さった方々へ。

みんなのメッセージで刺激されたり、それぞれの活躍してる様子を思い描いて自分を奮い立たせることが何度もあった。長い間応援、ありがとう。そして、これからは日本でみんなの将来を、この目で観とどけていきます。応援しています。
 
幸運にも希望通りに、この4月からは、奈良で養護学校の講師として新たなスタートを切っております。
自分は小学部に配属になり、しかも1年生担当。環境がガラッとかわりました!!
どうなるかワクワクしてます。
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そして――――これからも、自分の感覚のド真ん中に常に貫かれ続けていきたいです
 
 


 
明日からは入学式も始まり。いよいよ、といったところ。
これからも、ブログ更新していくよ~!!!!!!!!!

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写真素材のピクスタ

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いよいよバングラデシュの学校も残すところあと2回ほど。という時の頃の話。

 
学校に授業を始めて1ヶ月。自分はここに来てどんな影響を与えたのか,が形に表れないままのこのタイミングで。
 
実際には、仮にあと1ヶ月,2ヶ月,半年過ごしてもカタチには表れないにしても,ようやく子どもたちが心の柵を徐々に低くし始めていく時期なのに、自分が離れなきゃいけない。
 
 
 
中途半端。
 




 
 
 
しか~し。     現実を受け止めなきゃならん。
 
 
今まで、お世話になってきた人や、アリガトウって伝えたかった人の多くにその気持ち,というか助けられた事に対しての感謝,をきちんと伝えて来れてなかった自分。
というか、根源には伝えようとしてなかったんだな,とも後になって思う。うまく表現できないけど、もうちょっとこうした方がよかったよね,といった感じ。
 
 
今回はきちんと自らやってみよう!やりたい!って思った。幸いな事に,自分しか居ないし、やらないと。
 
 
今回はきちんと、この人には・・・って人たちに、前もって、思いもこめて、アイデアを湧かせてプレゼントしてきました。
 
ホームステイ先の2人のカワイイちびっ子たち。自分の キツイナ・・・って思った状況にいつも察知してくれて、小さいのにフォローしてくれるんだよね。言語はお互いにカタコトの英語やベンガル語でやり取りやけど、わかるんだ。ホンマニありがとう。
 
NGOの生徒たちや、先生。突然行きなり学校に顔出した自分を、温かく迎えてくれた。歌や踊りの披露,自分の授業やゲームをいい笑顔と、えらい元気な活力で授業受けてくれて、いつも楽しめたわ。自分が日本語の歌を歌った時もリアクション最高。皆,失礼のないように爆笑をこらえてくれたな~ 笑
 
小学校の子どもたちには、それぞれ将来の夢を書いてもらって、それを大きな紙に貼り付けて、四葉のクローバーをつくった。バングラデシュには4つ葉のクローバー見つけても願いが叶う,ってのはないからね。
 
その将来の夢書いてもらった時がまたおもしろかった。
ほとんどの生徒が、どんな仕事があるのかが分からなかったようなので、先生が「こんな事に書くんだよ!」って例を挙げて黒板に書いた職業――→警察,先生,
ってのを皆がその職業をそのまま訳が分からず、書き写してる学校があった。
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 あと変わった将来の夢ものといえば・・・

☆泥棒がぬすまないように教えたい。
とか
6e8fed45.jpeg☆友達の夢を見たい。
☆大学の先生。
☆家庭をつくる。
☆何かの仕事をする。
といったもの。
 
 まだ対象年齢に対して課題がよくなかったかな。

 
 
こんなのを作って、最終日に渡した。みんなの夢がかかれたカードを切って貼り付け、クローバーを作りました!!
プレゼントした時の反応は予想もしないくらい、至って普通><。
 
けど、自分が伝えたい一心でやった。自己満やけど、やってみたら、やっぱりやってよかったー。

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って思ったのは、この頃の心境で、
今考えてみると、みんなの気持ちをこの機会に一つにすることを目的にした、方法や目的を定めれば、もっとよかったかな?とも思う。そんなところがまだまだまだ甘くもあり、自分らしくもある。   
 
というところか☆

 
 
この国に来れて、出会えて、過ごせて、満足です。全てにアリガトウ,みんな!!

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写真素材のピクスタ
 中心的な力を保持していた西パキスタンが唯一使っているウドゥル語を東パキスタン(のちのバングラデシュ)にも制定させるように要求していたことが、これまでのパキスタン東西問題を激化させた。
それが1971年のバングラデシュ独立への切っ掛けとなった。


また、1950年から1952年にかけて行われたベンガル語運動では、1952年2月21日にベンガルと語を公用語とすることを求める言語活動家たちのデモとパキスタン軍が武力衝突する事件があった。
 
こういったことから2月21日はバングラデシュの公式の祝日となっている。
 

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今回はそれに関する話。
そのイベントに参加した。
 
この日は全国の生徒や住民が小学校に集まり、お祈りや、戦って亡くなった兵士に追悼する日でもある。
 
自分と友人,オーナーでホームステイ先の近くの学校へ行った。
そこには既に4校ぐらいの生徒が学校ごとに並んでいて、かなりの人だかり。
これらの生徒は公立や、私立の学校の生徒でNGOの学校の生徒は一般参加です。

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NGOのトップ,元兵士,学校の校長,理事長の方が前に並び、自分もそこに並ぶ。客人みたいなもんですからね~。9fee3d33.jpeg
 
千人はいるかな。こんな大人数なのに、それなりにきっちり並んで整列しているのに驚いた。でもしばらく見てみると、お偉いさんが話してるのに、半分の生徒は御菓子食べてる;; 後ろ向いたり話したり。。。だれも話聞いてない。。。
 
これらは、公立の生徒たち。
 
残りの半分は無言で静かに立ってる。お菓子も食べない。先生も引率して指導が行き届いてる。まるで日本のよう。
 
この差ははっきりして目立っていた。
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こっちの元兵士さんは今は50代くらいの人たち。今も無事生き延びている人は、かなり地元で尊敬されている。道端で会ったり見つけたりすると「アッサラー―ム」と言って挨拶をする。目下の物がこれをしないと失礼になる。親友のジュエル(17歳男)がこっそり教えてくれた。「トシは日本人だから別にしなくていいけど、これをすると・・・・この日本人,分かってるではないか。みたいな感じで印象もいいよ」てな感じで。
 
 
実際挨拶すると、「フムフム。。。みたいな感じで、ニッコリ笑ってくれる^^」
この人たちが命を懸けて戦わなかったら、この国はなかったんだ。。。。
兵士をしてただけあって、体はみんながっちりしてる。背は高くないんだけど、骨格が堅そうやし。でも、みんなやさしい。一般の人よりどこかもう人一倍深い優しさが話してて染み出てるんだよね・・・・・自分になんか体験してない辛い・とか何か想像できない経験してきてるからかな??って思うんだけど。不思議な感じ。
 
 
戦争,かーーー。戦争の元の元って何かな?って気になった。人種とか宗教とか、経済面とかが関係してるんやろうけど。戦争はどんなことがあっても必ず憎しみを生むような気がする。それ無くす鍵は、日本人の気質が生かされるのでは、、、と自分は思うんだけどね。
 
 
ちなみに、アッサラーム,っていう挨拶は、目上のボス的な存在の人にもする。
 
 
 
この校庭の隅にこんなシンボルがある。これは独立言語のシンボルでもあり、兵士のお墓でもある。下兵士は全てここに埋葬される。バングラデシュは焼かずに埋める土葬式。このシンボルにも5人ほどの兵士が葬られている。
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イベント自体が3時間ほどあって、長いらしいから、半分くらいで抜け出した。
ジュエルも「最後までいたら長すぎ。いこう」って笑。いいのかよ!!
一緒に行ったオーナーも。「OKだ」って。
 
 
 
 
ならいいか♪ スグ横にあるティー飲みに行った。
 
 
 
あのティーショップのおじさんたち,俺来なくなって寂しいやろな~・・・
だって毎朝,毎晩ジュエルと行ったっし。めちゃ絡んだもん。   少なくとも、俺は恋しいよ。また逢いたいね~><


このイベントはバングラででは重要な祝日で、ダッカとかセカンドシティーのクリグラムとかでは、更に大きなイベントで規模がまるでちがうみたいです。 よかったらこの日にあわせて観光でもいかがですか~?

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写真素材のピクスタ更新をだいぶしてなくてすいません;;
それでは、バングラデシュの話。



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自分の
NGOの近くにある別のNGOに友達が出来た。彼はそこでLIFEプロジェクトをしているメンバーの一員。彼が話してくれた、ムルギプロジェクト(ムルギ=鶏)1日参加してきた。



(近くのNGOオフィス)



その場所はこれまでのエリアから10キロほど北に行ったところ。
そこから、2キロほどある大きな川の向こう側。今は枯れかけた川だけど、モンスーンにはこの川が氾濫してめちゃ危ないらしい。
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家が沈むから高いところに家を建てよう!みたいな看板を目にした。

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そんでもってこのボート。木でできてるんですが、そこから水がチョロチョロと入ってきてるや~ん・・・・・;;  でも水出し専門の船員がいるので心配なし。らしい。


さてさて、このプロジェクト
話によると、1人の村人に5匹の鶏を無償でプレゼントし、その後は村人が
 
     卵を売る
     家庭で食用
     鶏を飼育して売る


等を自由に選択して商売の切っ掛けを与えよう。というもの。

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 鶏を買う資金は、ドイツの学生からのもの。 週に一度、学校で昼食を抜きにして、耐えてうかせた昼食代を集めて寄付してるらしい。200人が参加していてる。
人数は力やな、、、300人の村人全てに5匹与えてるという規模の大きさにビックリした。



 
 話かわるけど、自分の団体がマイクロクレジット(お金を貧しい人に貸して商売の機会を与えるというもの)っていうノーベル平和賞をもらったグラミン銀行のシステムを取り入れている。
 それの集金するために、何度もスタッフに付いていったんだけど・・・その時、村人が返金のお金用意できてなかったり、集金しても村人が見た目いい顔してなかったり、いざこざみたいなのがよくあった。

 このシステムどうなんやろ??って疑問があったから、利用してる村人に聞いてみたら、意外に、自分たちは確実に生活レベルが向上してるからいいよ!とか、商売できる切っ掛けになったから良かったという人、多くいた。
 
4def1f50.jpegでも念のため、ムルギプロジェクトのスタッフに問うてみた。

「自分の団体はマイクロクレジットやってるけど、村人いい顔してないんだよね~。たまに喧嘩みたいなのなってるし。あれっていいシステムなの?どう思う?」
 
 
確かに効果はあるよ。でも利子が15パーセントある。元のお金は大金じゃないから大きなプレシャーはないはずなんだけど、経営不振へのプレシャーがあるし、実際に失敗するケースが出てるからね。」
 
それに比べて、このムルギプロジェクトは利子が無い。そして確実に売り上げはでている。失敗のケースはないんだ。1年後にムルギ5匹分のお金は返してもらうことになっていて、そのお金で新たな村人へ、ムルギを安定して提供できるんだ

NGO側の陸地から川を越えたこちら側は、60%の人々が1日2食という更に貧しい地域なんだよ




てなことだったた。
 
次年に新たな村人に鶏を与える時、NGOは鶏を以前提供した村人から、市場より少し高めに買ってあげる。という細かな配慮もされていた。
 
今では他に,を提供したりしてるけど、これはコストが高いのであんまり効果がでなかったらしくて、新たにヤギで検討してるらしい。が今のところ一番らしい。因みに1匹の値段は、、、
 
1頭=15,000円
1匹=150円
ヤギ1匹=3,000円
 
このプロジェクト、斬新で気に入った。
学生が昼食抜き,って発想がなんか学生らしくて、その学生がご飯一食分耐えたところも、バングラの人からすれば有難みが増すような気がする。

 
 
日本に帰って支援するなら、このプロジェクトいいな。

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写真素材のピクスタ綺麗にバングラデシュを発ったつもりが、、、、空港の審査内,


ボーダーラインを越える審査で、

  ビザ1つだけ?

  ???YES。なんで?

  2ヶ月たってるけど、あと1ヶ月のビザは?

  は?6ヶ月間ビザとったから十分あるでしょ?1枚でいいやん。

  このビザ、30日のビザです。
 
  は??? 

  え・・・・ほんまや、、、、、30日って書いてある、、、;;

  32日も越えてるよ、君。えらいオーバーステイ。どうするの君。

  パスポートオフィスにいってビザをとるかお金けっこう払って通るかどちらかにしな。




当然ながら事務的な対応。




2ヶ月前、バングラデシュに向かう前にビザを65日滞在で書類出したから、確認を十分にできてなかった。
30日のところが荒い字体で、領事館のサインと勘違いしてしまった。。。。もっと綺麗にかいとけよ!おい~;;


お金出して通してもらおうとするが、話が変わり、パスポートオフィスに行かんとあかん事態になる。
またかよ、、、頭にイギリスでの苦い経験が甦る。

どこ?そのオフィスって。。地図もない。ドレだけ離れてんの。何日でビザとれるん。何日に日本かえれるん。チケットどうなるん。

エライストレスが圧し掛かる。



お世話になってた親玉のNGOに電話して助けを求め、なんとか数時間後にひろってもらえた。
ホテルも予約してくれ、ホテルまで出してくれた><

何度もお礼を言い、ほんとに助かった。

次の日VIZAの申請手続き、その次の日,チケットの手配にまで付き添ってくれて、急ピッチで全て揃う。
そして


昨日3月5日夜
thumbnailCA2KU9W3.jpgやった~!!

  







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yes!
YES!!
YES!



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kita!






ljkmv1.jpgついに\\







 本、帰国
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着いた・・・





なんとも言えない安堵のような達成感。

この約1年間の日々

決断までの日々が思い出され








そして、これから また つづく道



この日は家に直行。家に帰って、、やっと今年の年賀状を見る 笑 
みんな嬉しい事書いてくれるわ。
日本、やっぱりいいもんです><

まだ
バングラのことや、この1年のまとめもかきたいから、あと少しお付き合いください。

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HN:
齊藤 敏和
年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1981/12/24
職業:
ボランティア活動中
趣味:
草引き,お茶やコーヒーを飲むこと
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