ということは、自分のこの約1年間のボランティアイヤーの終了を意味してる。
後は3月終わりの事後研修のみ。 この1年が濃すぎて、とびきり楽しくて、時に道のりは険しかったぶん。いろんなことあり過ぎてまとめるの正直困難。
明日の朝、バングラデシュの首都ダッカに向かいます。 3月1日の2時10分にダッカを発ち、中国経由で大阪へ!!
日本到着は3月2日夕方。
無事に到着できる事を信じてます。帰国後はやりたい事多し。
いい人にメッチャ会ったから、寂しさもまた、深い。
今はパッキングをほぼ済ませ、後は最後の夜を満喫して寝ます。といってもただ寝るだけではなく、ウキウキしながら寝ます。 バングラのことまだ書けなかったから、続きは帰国後に。
こないだ、信頼できる友人といった小旅行の写真。
小旅行の目的はその友人の妹さんの家へ訪問。場所は滞在先のガイバンダという地域から北に100km離れたクリグラムという地域。電車とバスを乗り継ぎ、6時間で到着。
これはバス乗車時の写真。
橋渡ってる時の写真なんだけど、今は使われてない電車の線路に木を詰めて、なんとか車用に工夫した橋なんです。写真では見えにくいけど木が凸凹過ぎて、メッチャゆっくりしか走れない。揺れまくり;;;線路はしっかり残ってる。一方通行だからメチャ渋滞してた。ちゃんとした橋は今建設中。
田舎さの程度は活動先のNGO地域と変わらない。
この地域は農業が盛んだそうな。
妹さんの家。女性の場合、都市に住む人はそうではないが、田舎の地域に住む人たちは早くて11歳で結婚する人もある。結婚年齢は平均だいたい男性20歳、女性18歳。
近くのバザール。夜の写真はなかなか撮る機会がないから貴重。
道を歩いてると、公立の学校があって、そこから離れたところ歩いてたんだけど、日向ぼっこしてたそこの旧校長に呼ばれて、日本の紹介と、ショートゲームや日本の歌を披露。普段からNGOスクールでゲームやってるから、準備しておくといいもんです。
全生徒が自分のクラスを見に来てかなり邪魔になったと思いきや、先生もメチャ歓迎してくれて暖かかった。
バングラデシュの大統領(右)。左はその父。友人の話によると、彼は1971年のバングラデシュ独立戦争時に戦死してまったそうな。
最後に先生たちに突然お邪魔した事のお詫びと、お礼。
これは地域で一番大きい駅。だから、かなり綺麗な方。
電車の屋根に乗ってるのは、切符が安いから。命の方は高いお金で出しても買えませんよ。。。
ローカルな駅はもっと刺激的。
バングラデシュの国自体が貧しいゆえ、根本的に貧しい人が多い。それゆえか、田畑の土地権利争いから、バトミントンのゲーム中にわたって殴りあいの喧嘩にまでエスカレートし、村全体を巻き込むケースがあった。(スポーツ用品高いのでお金出し合って買ったりするから、他の人が入ろうものならいざこざが起きたりする)
こっちの人は、車なんて持ってないからほとんど見ない。移動手段は人力車や自転車(大体は一家に一台の自転車が主流:買えることすらできない家も多い)。バイクはガソリンが高いしそこそこお金持ってる人が使ってる。
見た目でわかりやすいから上げれるけど、色んな人の家にお邪魔させてもらった感じでは、電化製品でいえばハイテクでカッコイイ携帯,テレビ,冷蔵庫,炊飯器,それらが揃えば次はカメラ,パソコンといった順序で裕福になるにつれてこれらが揃ってるように感じる。
携帯は大人の中で言えば8割強の人が持ってる。 家で言えば、ワラでできた家,トタンの家,コンクリートの家って順序。
日本や先進国,先進国に近い途上国の人はそれらを全て持っていることが多い。でも、
もし仮に今の日本の状態より更にスペシャルな国があったとしたら、自分たちはそこに追いつけ追い越せ,ってな具合になるだろう。
実際はそのような差は無い。つまり物質的な豊かさってのはいうなれば飽和状態といえる。 さてさて、しかしそんな私たちは果たして豊かなんだろうか?
と聞かれるとすぐにはYESと言えない。それは、
物質的な豊かさ=豊かさ ではないことを意味する。
とするならば、そもそも豊かさとは?
自分の興味ある発明家の方に聞いた話は、 戦後の日本は発展を求めてハイテクを目指した。その結果―→
幸せではなく“いぶかしさ”が増えてしまった。 って言ってた。
ある程度の一定の基準はあると思う。その辺の基準は多少個人差によるだろう。例外もあると思う。
大事な事は、自分の思う基準や、どこの基準に自分の状態があっても、(現状に対して)満足する姿勢だと思う。 例えば100%を求めていくんじゃなくて、80%~90%のところらへんで満足する心を残りの20%は気持ちを抑える,というか控える。とか。
ご飯で言うならば毎回お腹いっぱい食べたらお腹いっぱい一杯食べてたら、せっかく豪華な食事であっても美味しくない。だから、「食べようと思えばもうちょっと食べれるけど、まぁいいや」みたいな感じのところ。
例を挙げては見たものの、分かるかな??この例え。
ってことは実は、今の環境の状態で控えれる常態こそ、豊かと、言えるのでは? かといってそこに胡坐(あぐら)を掻かず。
という自分なりの疑問と一つの結論でした。
ボランティアについて
ここにくるまで、ボランティアとは
参加者側の求めてるものと、受け入れ団体の目的や現地の求めてるものが一致している状態で成り立つ。と思っていた。
でも実際はそうじゃないこともある。そうじゃないことの割合の方が多かったような気がする。例えば自分の場合、
実際に活動を始めて障害を抱えている人のお宅に訪問すると、家族の人のサポートで間に合っている状態だったり。団体の目的が知名度を上げるのが目的なのにもかかわらず、初めからあまり外に出る機会を与えてもらえず。。。。オイッ何で??て思った。自分から促して連れてってもらうと、現地語を話せない自分はかえって拒否されたり。ハハハ。;
その他いろいろあって、運よく変更してもらったんだ。
自分の場合は運よく切り抜けれたけど、参加者側と、受け入れ側の要望が違った場合,,やっぱり問題なんじゃないかな?あそこの団体、案内と実際の活動が違ってたよ,って聞いたら参加者自体来なくなってしまうんちゃうかな。自分の理想としてはこんな意見。
更にボランティアがいいものになるのを願うなればこそ、あえて批判する必要がある。
ってことは後のことで、参加前は、こんな事をあまり考えないでいいとも思う。二の足を踏むことこそ一番の問題。何でかっていうと、やってしまってこそいろんなことを味わえるから。思い返してみると、やってしまえば実際は後悔ないことばかりだった。いうなれば
全てが成功である。
人と人であれば物事には「本音と建前」があることが多い。
現地に行ってしまうとどんなトラブルをも楽しむくらいの気持ちがいいよ。とか、止まっててもしょうがないから考えを切り替えろ~とかの類のアドバイスをきいた事もあった。
自分の考えもそう。実際こうする事が一番の対処法やと思う。自分の視界に入ってない所から不意に意外な出会いや、小さな幸せに気づけたりもする。それは自分が楽しんでたり、そうなるように工夫?しているからこそ味わえる事が多い。
参加者側の何か役に立ちたいって姿勢をくづさない限り、活路の道は見えてくると信じる。
ハハハ。何か硬い文章になった気がする
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